僕ら(1980年代前半生まれ)の時代って、なんとなく大学に行くことが当たり前と思って学生時代は勉強していた思う。

大学で何を得た?

でも、大学に実際に入ってやったことって、友達と飲んで遊んで合コン行ってバイトして・・・とか何を勉強したって、特に何も勉強していないって人は少なくないんじゃないかな。

もちろん、卒論書いたよって人は多いと思うけど、出来栄えは卒論だか作文だかわからないような内容だったり。

テストや授業は確かにあるけれど、学生にとっては遊んで暮らせる天国のような時間なんだと思う。

しかし、その時間に親は何百万円というお金を払っていると。。。

大学を卒業して得たこと

僕なんかは、それははっきり言って

「大卒です!」「新卒です!」と言える身分

というのが一番でかいんじゃないかと思っている。

確かに、採用する側からすると大学でスクリーニングすれば効率がいいのは理解できる。

例えば、10人しか採用しない会社が日本全国の何百万人の中から優秀な10人選ぶのと、東大・京大・早慶上智あたりから優秀な10人選ぶのでは、成果はさほど変わらないだろうけど、労力は相当違う、後者の方がだいぶ楽だ。

でも、このやり方が通じるのは大量採用時代だからこそ、だとも思う。

大量採用時代だと、実際は別に飛び抜けて優秀な人を採用する必要はなく、普通に仕事ができる人がいればいい、なぜなら、誰がやっても成果は大して変わらないから。

でも、これからの時代は違うはず。

これからは本当に稼げる人材が必要

グローバルに競争が激しくなり、さらには技術が進化し機械ができることが増え、どの企業も本当に稼げる優秀な人材が必要になってきた。

誰でもできる仕事しかこなせない普通の人材に高い給料を払う余裕がなくなってきたわけだ。

そんな環境下で、大学時代に遊んで飲んで合コンに行ってバイトしてただけの人が必要とされるか?そんな生活を送ってた人の大方は必要とされなくなるだろう。

「大卒です!」「新卒です!」が通用しなくなる

大卒とか新卒とか関係なく、稼げる人材が欲しい。

高卒でもいいし、中卒でもいいし、大学引率でもいい、とにかく稼げる人材が欲しい。

ただ大学を卒業しただけでは、いい会社に入れなくなる時代がもうきてるんじゃないかな。

いい会社に入れないのに、親が教育資金を出す意味は?

これまでは、とりあえずそこそこの大学に行かせていればそこそこの会社に入れて、そこそこの生活がおくれる可能性が高かった。

でも、これからはそうではなくなる。

それに多くの人が気付き始めたら、果たして親は何百万円というお金を大学に出すだろうか。

これまでの当たり前が、当たり前でなくなるのはこれからどんどん起こるだろうけど、大学関連の事象でも多く当てはまることがあるだろう。