大学院を卒業して24歳で某メガバンクの債券ディーリングルームに入って、いくつかの金融機関を経験して、32歳で金融機関を卒業。

僕の簡単なサラリーマン生活の経歴だ。

恵まれていたサラリーマン時代

僕のサラリーマン時代は比較的恵まれていたと思う。

新卒後3年間は確かに辛かった。

通勤に30分かかる上に朝7時には会社についてなくてはいけない。

帰りは夜の9時。

仕事もわからないことだらけで、先輩や上司からの怒号を浴びせられながら必死で勉強した。

それでもアラサーになる頃には知識も経験もだいぶ増え、自分のポジションも上がり、だいぶ居心地が良くなった。

物欲があまりない上に飲み会にもあまり行かないから、月に50万円程度もらえるようになってからは会社の近くに住むことも可能になり、お金を気にすることがなくなった。

何よりも、時間が楽になった。

朝は相変わらず7時に会社に着いていたが、家が近くなったのと”慣れ”で朝早いのは何も苦ではなくなった。

仕事の進め方を自分でコントロールできる部分が増えたから、帰りは18時には帰っていた。昼休みもなぜか勝手に1時間半とっていたw

市場が11時〜12時半まで昼休みになるからそれに合わせていたわけだ。

 

お金的にも時間的にも平均から見ると恵まれたサラリーマンだったと思う。

それでも、僕はトレーダーを辞めて恵まれた環境を捨てた

理由はいくつかある。多くの人からすると理解しがた行動・理由からもしれない。

銀行のトレーダーに興味を失っていた

勘違いしている人も多いと思うが、銀行のトレーダーのメインの仕事は株などを売り買いして売買益を得ることを主目的としていない。

お客さんからの注文に対するプライスを返して、その売買に対するヘッジをしながら利益を得て行くことを目的としている。

自分が負けないであろうプライスをお客さんに返していれば、そのサヤで負けることはない。

つまり手数料ビジネスとほぼ同じだ。

トレーダーとして売買益を積極的にとっていくスタイルの僕にとっては少し物足りなくなっていた。

若手からの突き上げ

突き上げというと少し違うかもしれないが、トレーダーの仕事に興味を失っていた僕にとって、常に進化するマーケット知識を貪欲に学ぶ姿勢が失われつつあった。

一方、後輩にあたる若手のやる気は満ち溢れている。

自分と後輩のモチベーションのコントラストを僕自身強く感じて、なんだか申し訳ない気持ちになった。

僕がいるとその分若手にチャンスが回る数が減る。

若手の成長を自分の存在が阻害しているんだろうな、と。

それでも自分のポジションを保身する人は大勢いる。

僕にはそれがとてもダサいことに思えるし、実力のない人がやることだと思っていたから、そういう人にならないように辞める決断をした。

トレーダーの仕事はAIに置き換われると思う

また、銀行のトレーダーという仕事の将来性にも疑問を感じていた。

そう、AIの存在だ。

実際に為替のスポットトレーダーはすでに9割方機械に置き換われている。

デリバティブのトレーダーだって時間の問題だ。むしろウォール・ストリートなどではすでに始まっているのではないだろうか。詳しくは知らないが。

トレーダーを自分でやっていても思う、マーケットにフェアなプライスはただ1つしかないのだから、感情を持たない機会がプライシングした方がフェアに決まっている。

人間なんだから色々な感情が入って、情報格差、知識格差を利用した自分に有利なプライスを出すだろうし、ミスだって起こす。

機械やAIにやってもらった方が断然いい世界になると思う。

所詮はサラリーマンだから休みをコントロールしきれない

僕は恵まれていた方だと思う。

それでも、1年間の中でマックスで取れる連続休暇は2週間が限度だった。

僕はたまには3ヶ月間程度の休みが欲しい。クルーズ旅行に行きたい。

いくら労働環境が恵まれていても、サラリーマンであれば退職しない限り叶えることが難しい願いだ。

もっと自由に投資がしたい

銀行に勤めていると個人投資がかなり制限される。

株価がどんなに上がっても、それを指を加えて見ていることしかできない。

手を出せば利益が得られるのにそれができないなんて僕には耐えられなかった。

 

辞めた理由はざっとこんな感じだ。

これだけ揃えば、決断はそう難しくない。細かいことを考えればもっと理由はあると思うが。

 

人生は一度きり

サラリーマンの辞めるにあたって、僕の心の中に度々登場したワード。

“人生一度きり”

自分が死ぬときに後悔のないように生きたい。

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